写真:剪定をやめて2年目の葡萄と秋空
自然は、努力することなく、
変化し続け、
今年もまた、実りの秋となる。
タオ(ダオ)イストが述べる、無為。
without doing
タオ自然道や、自然体、という言葉を考えるとき、
無為とは、”努力しない”という表現がしっくりいくように感じられる。
自然な生き方、努力しない生き方とは、努力を放任することとは違う。
”放任ということと、自然ということが混同されていて、放任が自然であるかのように錯覚している場合が多いんです。
自然を不自然にする最初の出発点は何なのか、ということがはっきりつかめていなんです。
結局、人間が、その知恵と行為で持って、何か悪いことをする。悪いことをしておいて、それに気づかないままに放っておいて、その悪いことをした結果が出てくると、それを懸命に訂正する。そして、その訂正したことが効果を上げると、いかにもそれが価値ある立派なもののように見えてくる、というようなことを、人間はあきもせずやっているわけです。
”福岡正信著 わら一本の革命”より
タオの例えとして、述べられる水の流れ。
水は、努力することなく、
前人未到の道を流れ進んでゆく。
自然の地形に沿い、
変われば変わるほど、その流れは、変わらない道となる。
涼しさをもたらしていた風が、冷たさをもたらす季節となり、
人も、食事、衣類、生活スタイルを調整する。
気候、体調、年齢などといった変化に合わせる、
つまり変われば変わるほど、変わらず保てるのがボディー・マインド・スピリットのバランス。
万物が変化する中、変化しないでいると、
変わらないが故に、バランスがアンバランスへと変わることを、
体は否応なしに教えてくれる。
バランスは、目的ではなく、基礎。
体とは、土壌、
ものが育つ土壌。
土壌のバランスが整えば、努力せずとも実りを収穫することができるようになる。
秋一番の風が、そんなメッセージを届けてくれた。