I Ching for life   易経のある暮らし

易・タロット歴25年 実用的でわかりやすい易経を伝えたい

過程を信頼する

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秋、成熟を迎える自然の色の移り変わりを、観察し、内省する季節。
常緑樹が多い地中海南部でも、山の色が、赤や黄色に染まり始めています。
 
易や東洋医学において、中庸の色とされる黄色。
易の中にも、黄色は、大地の色、中庸の色、誠実、信頼を表す色という表現があります。
 
易がいつも教えてくれること
”過程を信頼する”。
 
先が見えない、行き詰った、グレーな気持ちになる時こそ、
過程を信頼することの大切さ。
 
グレーとは、
タオ的には、
黒の中に白あり
白の中に黒あり。
 
黒の中に、白に
白の中に、黒に
導かれる過程を信頼する、
タオという道。
 
 
ローカル線の旅。
秋の陰雨に、垣間見た虹。
 
どんな道も、
人生の終着駅は、いつも太陽が待ち受けている。
そんな気持ちにさせられた、今日という一過程。
 
イタリア語の格言:
La speranza è l'ultima a morire.
希望は最後まで死なない。

努力しない生き方

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写真:剪定をやめて2年目の葡萄と秋空

 

自然は、努力することなく、
変化し続け、
今年もまた、実りの秋となる。

 

タオ(ダオ)イストが述べる、無為。
without doing

タオ自然道や、自然体、という言葉を考えるとき、
無為とは、”努力しない”という表現がしっくりいくように感じられる。

 


自然な生き方、努力しない生き方とは、努力を放任することとは違う。

 

”放任ということと、自然ということが混同されていて、放任が自然であるかのように錯覚している場合が多いんです。
自然を不自然にする最初の出発点は何なのか、ということがはっきりつかめていなんです。
結局、人間が、その知恵と行為で持って、何か悪いことをする。悪いことをしておいて、それに気づかないままに放っておいて、その悪いことをした結果が出てくると、それを懸命に訂正する。そして、その訂正したことが効果を上げると、いかにもそれが価値ある立派なもののように見えてくる、というようなことを、人間はあきもせずやっているわけです。
”福岡正信著 わら一本の革命”より

 


タオの例えとして、述べられる水の流れ。

水は、努力することなく、
前人未到の道を流れ進んでゆく。

自然の地形に沿い、
変われば変わるほど、その流れは、変わらない道となる。


涼しさをもたらしていた風が、冷たさをもたらす季節となり、
人も、食事、衣類、生活スタイルを調整する。

気候、体調、年齢などといった変化に合わせる、
つまり変われば変わるほど、変わらず保てるのがボディー・マインド・スピリットのバランス。

 

万物が変化する中、変化しないでいると、
変わらないが故に、バランスがアンバランスへと変わることを、
体は否応なしに教えてくれる。

 

バランスは、目的ではなく、基礎。

 

体とは、土壌、
ものが育つ土壌。

土壌のバランスが整えば、努力せずとも実りを収穫することができるようになる。


秋一番の風が、そんなメッセージを届けてくれた。

大人 小人 君子

易経には、大人(たいじん)、小人(しょうじん)、君子(くんし)という人物を表す言
葉が度々登場します。


Stephen Karcher氏は、
The Power of Great and Small
のなかで次のように述べています。


大人


”大”とは、あなたに求められる偉大さと力強さです。
あなたの力、強みを集結し、主要であるアイデアや目的のために自分自身を組織立て、
自分の意志を貫徹し、他者を助けたり守るために行動することを意味します。


大人とは、
これらを成し遂げた人、これらの能力を身につけた人を指します。


それは、祖先のスピリットであったり、それらを通して祝福、ありがたさを明示する存
在であり、それは、偉大なる統治者、賢人、儀式熟練者やディバイナー(予言者、易
者)、偉大な洞察を提供する輝いたスピリットと接触する者、それらを表現する力を持つ
者といえます。

 


小人


”小”とは、あなたに求められる柔軟さ、順応性、あなたの道に交差するどんなものにも適
応する性質です。
それは、自己の過大評価を手放し、自発的でしなやかなあり方に身を委ねることを意味し
ます。


小人とは、
自らの道にやってくるものに適応し、従う者を指し、これは”道”を知る事においては、重
要なステップです。


伝統的に見ると、小人とは土地を持たない貴族のことで、君主に奉公し、君主の気まぐれ
な考えや命令に従う者でした。
その者たちは、適応さと内面の働きかけを通してのみしか、自らの状況に影響を与えるこ
とは望めませんでした。
小人という言葉は、変化の小さな起こりに気づき、自尊心と混乱から無傷でいる者とし
て、タオイストの引き合いに出されます。

 


君子


君子とは、学識、人格ともに優れた立派な人、人格者、聖人のことです。

 

”道”に沿った行動するために変化を利用し、自分が本来あるべき姿になるために力と徳を
積むことが、君子たる者の目的です。

 

#易用語

#大人小人君子

光りを観る

現在のような交通手段がなかった一昔前では、旅とは、日々歩き続けるという、決して楽ではないことであり、また旅の道中、追い剥ぎなどに出会うといった、危険を伴うことでした。

 

新幹線なら2時間半で行ける東京ー大阪間も、江戸時代は、普通の人なら17日位で、一生に一度あるかないかの体験。
飛脚なら3−4日で行ったようですが、わらじでというのだから、驚異的です。

 


今、話題になっている国内観光需要喚起を目的としたGO TOキャンペーン。

 

観光という言葉は、易経、卦20”観”の爻辞
”六四 観国之光 利用賓于王
国の光を観る もって王に賓たるによろし”
から生まれたと言われています。

 

”観”という卦は 、
遠くから物事を見る
傍観する(物事のなりゆきを自分の力で変えようとせず,何もしないで見ていること。)
全ての物事を視野に入れる
意味を見抜く 
ことを意味します。

 

 

光と色彩、視覚、治療効果の相関関係に関する研究の第一人者、ジェイコブ・リバーマン氏は、著書”光の医学”で、次のように述べています。

 

”人間はみずからすすんで見るのではなく、受動的に見るようにできていること、
受動的に見れば目は私たちの思うままに見えるようにできていることがわかった。
つまり、《視覚に努力は必要ない》ということである。
私たちは、映画を見るのと同じように、
努力しないで人生を見るようになる必要がある。
努力のいらない機能に努力を傾注しても、
その流れるような動き、能率、与えられる快適さ、動作の邪魔になるだけだ。
残念ながら、いつも見ることに努力を注ぐあまり、
目に見えるはずの自然界や生命の奇跡が見えてこない人々がほとんどである。”


物と情報にあふれ、無駄が多い世の中で、
人々は、世界経済にとって”良いニュース”である、単なる消費拡大のツールとして
旅や観光をするよう、推し進められ、
建築物や、食べ物を写真に収めることに心を奪われ、
生きているという奇跡ー”光り”ーを、見落としがちになっているように思います。

 

本当に必要なものを見極めるには、
特に、普段は見たくないと思っているものを、観る必要があります。


生きることの素晴らしさと恐ろしさ。

今という、見えにくい世の中を見抜き、生きてゆく上で、
この二つのバランスを取ることが、
必要不可欠なのかもしれません。

 

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手相3年、易10年

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日本には、占術の難しさを表す言葉として、

手相3年、易10年と言われることがあります。


この3年や10年という言葉ですが、
実際の期間、そして一定の期間を表す表現方法として、
次のように易経にも、度々登場します。

3年経っても、子を生まず
10年待てば、良い縁あり

 

さて、手相3年、易10年。

易の使い方そのものの習得には、さほど時間はかかりません。

この10年という一定期間をかけて実践するのは、
気の流れを見て、バランスを習得すること。


人間にまつわる気(気分、気質、気脈など)
天候にまつわる気(気象、気温、気圧など。
天候に、生死を大きく左右された古代は、天の気を訪ねた占術文献が数多く残っている)
電気(情報社会の必需品)....

万物が備える、陰と陽の気の流れ。

気は、
自分で作るもの、
自分でなおすもの、
自分で養うものという、
易を通して見る調和の世界は、
食養や気功などと同源の、
とても身近で、日常的な次元です。


バランスのとれた暮らし
自分の調和が第一歩。

今日も実践、
タオの道を歩んでいます。